写真ってすごい。
戦死した曽祖父の御霊へ玉ぐしをささげるため、
靖国神社へ昇殿参拝してきました。
私の曽祖父は祖父が10歳の時に、大東亜戦争にて国事に殉じまた。
なぜ、参拝に行ったのか、その事を書こうと思います。
人によっては、あまり気分のいいものではない記事になるかもしれません。
『これダメかも。』と思った方は、ここでウィンドウを閉じることをお勧めします。
あくまで、私個人を取り巻く環境と、偶然と、写真の持つ力に感動したことがきっかけで起こった行動であり、
偏った思想などはないことをここに明示します。
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小学校の時に聞いていたこと
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小学校低学年の頃、祖母から戦争の時の話しをよく聞きました。
悪いことをしたら『B29』が来るよ。と脅されて本気で怖がるほどです。
話してくれる内容のほとんどは、終戦間近の頃の話で、
『夜は雨戸を閉め、外に明かりが漏れないように、小さなロウソクで過ごした。』
『鉄や銅を集めて回った。』
『竹槍訓練に参加する歳ではなかったので、油をとるためのどんぐりを集めていた。』
祖母が先の大戦を経験したのは小学校1、2年の時
鮮明に語られた事柄は、本当に恐ろしい記憶だったんだと思います。
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ちっちゃいばあちゃん
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そんな祖母はふくよかな体型で、『でっかいばあちゃん』と呼んでいました。
私にはもう一人おばあちゃんがいて、小柄な曽祖母を『ちっちゃいばあちゃん』と呼んでいました。
ちっちゃいばあちゃんはとても寡黙な人で、あまり笑うこともなく、
菩提寺の清掃や、お勤めにとても熱心な人でした。
親に怒られたらちっちゃいばあちゃんのところに行ってかくまってもらったし。
とても優しい思い出があります。
曽祖母の部屋は仏間の横にあり、仏間には曽祖父の写真が大切にかけられていました。
今回の参拝は曽祖母の写真がきっかけでした。
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ちっちゃいばあちゃんのアルバム
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先日、曽祖母が暮らしていた部屋に祖父母が引越しました。
その整理の最中、一つのアルバムが出てきました。
アルバムの中は若き日の曽祖父母でした。
今の私と同じ年くらいの時です。
これまで、曽祖父がなくなった理由や状況は話で聞いてはいたけど、『ああ、そうなんだね』位でしか、気持ちの中に入ってきていませんでした。
いくら家族のこととはいえ、リアリティが無さ過ぎて自分ごととして受け止めれなかったんです。
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技術の進歩ってすごい。
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話は少し変わります。
昨年(2015年)は終戦70年目の節目の年で、NHKスペシャルで『NHKスペシャル 70年目の戦争と平和』が放送されました。
「カラーで見る太平洋戦争」と称し、4年にわたって続いた太平洋戦争の貴重な動画記録を、最新のデジタル技術を駆使しカラー化する
というものでした。
仕事柄興味があり、その映像を見たのですが、
戦争なんてどこか違う世界、次元で起こってたんじゃないか?くらい現実味がなかった私に
その時に生きて、死んでいった人を生々しく紐付けさせるに十分なものでした。
本当(戦争)のことを本当(戦争)のこととして認識しました。
とても強い衝撃でした。
これもすごいです。カラーで蘇る東京
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戦地に赴く
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宮前で撮影 ふざける祖父、真面目な曽祖母
アルバムには、初てみる遺影以外の曽祖父と同じ年の曽祖母、子供の祖父。
ボロボロのアルバムを大切にめくりました。
そして祖父と祖母とゆっくりと話をしました。
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曽祖父は祖父が10歳の時に英霊となりました。
曽祖父が最後の戦地へ赴くとき、これが最後であることを皆が理解していたそうです。
家から汽車の駅まではかなりの距離があり、その間には入り組んだ湾があります。
そこには軍の戦艦があったため、駅までは目隠しで連れて行かれたそうです。
駅に着くと人波がすごく、また、子供はホームまで入ることを許されなかったそうです。
最後と理解していた祖父は、その人波をかき分け、ホームまで行き、曽祖父を探しました。
そして、本当に運良く曽祖父を見つけることができ、
涙をこらえきれない祖父に曽祖父は飴玉を一つくれたそうです。
それが別れでした。
子供が入ってはいけないところに行ったので、軍の人に見つかってしまって怒られているところに、
近所の人が『最後になるかもしれないんだよ』とかばってくれたことが、とても嬉しかった。
と下を向いて話していました。
10歳の子供を残し帰ってこれないかもしれないところに行くって、どんな気持ちなんだろう。
父ともう会えなくなるかもしれないって、どんな気持ちなんだろう。
最後の見送りで、記念写真を撮る亮雄じいちゃんとちっちゃいばあちゃん。
今の私と同じくらいの年の二人。
本当にどんな思いだったんだろう。
そんなことを思うと、こらえ切らない感情が溢れます。
合同葬儀
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参拝の意
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靖国神社には現在、幕末の嘉永6年(1853)以降、明治維新、戊辰の役(戦争)、西南の役(戦争)、日清戦争、日露戦争、満洲事変、支那事変、大東亜戦争などの国難に際して、ひたすら「国安かれ」の一念のもと、国を守るために尊い生命を捧げられた246万6千余柱の方々の神霊が、身分や勲功、男女の別なく、すべて祖国に殉じられた尊い神霊(靖国の大神)として斉しくお祀りされています。
今日の平和は、礎となった先人があってこそ。
国家のために尊い命を捧げられた人々の御霊を慰め、
その事績を永く後世に伝えることを目的に創建された靖国神社。
私は家族という立場で、非常にありがたく、これ以上に誇らしいものはないと思いました。
この歴史は決して繰り返してはいけない。
同じように先の大戦で犠牲となった諸外国方々に心よりの哀悼の意を表します。
目の前のことに、必死に、誠実に、嘘つかず、頑張っていかなければならないと。
強く、強く、考えさせられる出来事でした。
これまで、ぼやっとしていたものが、一瞬で現実味をおび、感情や匂いまで伝わってくる
一枚の写真でこんなにも心が揺さぶられるのか
有名な写真家でない、ごく普通の記念写真。
それでも、捉える人にとってもはとても大切なものになる。
webという形ない儚いものを生業としている私は、このアルバムにとても強い衝撃を受けました。
写真って。ほんとすごい。